ミシマサイコの会

講演会開催

「ミシマサイコの会」は、「ミシマサイコ学習会」の流れを受け、毎年開催する総会時に、記念講演を演者のご協力を頂き開催して参りました。ご多忙中に貴重な講演を快く受けて戴きました講師各位には、改めて感謝を申し上げます。
本会では、引き続き、先人から伝承されるご経験・知識に加え、幅広く三島市内外の先生方からのナレッジ(knowledge)のご提供を頂きながら研鑽を積む所存です。今後とも、ミシマサイコ/Bupleurumをキーワードに多様な情報に触れあいたく、よろしくご交誼をお願い致します。


開催日演題タイトル講師(所属・役職は
講演時)
New!! 2020/2/15 伊豆の薬草とミシマサイコ
<再発見!伊豆学講座>ミシマサイコ 山野に自生した「特効薬」(東京新聞/ TOKYO Web)
NPO法人伊豆学研究会理事長、(公)江川文庫学芸員
 橋本敬之 氏
2019/2/2「薬食素材の活用事例と将来の可能性」
〜ミシマサイコの話題と夢にふれて〜
 市民活動センター 4階会議室
多田食品有限会社
代表取締役
 多田清吾 氏
2018/2/24相模原市にゆかりの深いさがみはらサイコとは?相模原柴胡の会
 福田智行 氏
2018/2/24DNAレベルからみたミシマサイコの世界国立遺伝学研究所
教授
 有田正規 氏
2017/2/11ミシマサイコ栽培と生薬調剤の実例北里大学名誉教授
 吉川孝文 氏
2016/2/20自然への招待 ミシマサイコを意識して桜美林大学名誉教授
 三島次郎 氏
2015/2/11ミシマサイコの可能性静岡県立大学薬学部教授
 野口博司 氏
2014/11/23ミシマサイコの魅力京都大学薬学研究科
 伊藤美千穂 氏
2013/5/23我が家のミシマサイコ「ミシマサイコの会」会員
 相原修 氏
2012/2/20 ミシマサイコ −生薬名「柴胡」・別名「和柴胡」(三島市立図書館所蔵 K470) 「ミシマサイコの会」顧問
 大沼倶夫 氏

【参考資料】2017年2月 ミシマサイコの葉に含まれる機能性成分に関する研究
静岡県立大学食品栄養学部 竹内綾 氏

【2020/2/15(土)】14:30〜16:00 三島市民活動センター4階会議室において「2020絶滅危惧種ミシマサイコ講演会:伊豆の薬草とミシマサイコ」と題し、NPO法人伊豆学研究会理事長、(公)江川文庫学芸員 橋本敬之先生よりご講演頂きました。上記リンクの講演資料にありますように史書に記載の伊豆の薬方および豆州産の薬草について分かり易くご紹介頂き、〆としてミシマサイコについて語られました。現在、韮山の江川文庫史料の維持・修復・保管が進行中とのこと、江戸時代の柴胡湯処方の記録や明治のウィーン万国博覧会に戸田村産サイコ2箱が出品された記録などが存在するというお話しに聴き入り、大変有意義な90分でした。橋本先生、ご参集の皆さま、ありがとうございました。



今回の講演会に参加・協賛頂きましたソレイユ(Soleil:フランス語「太陽」)菊川美幸さんから「箱根三島野菜の生姜について」と「薬膳講座及び薬草販売を目指すための交流会」(5月30日(土):残念ながら開催中止)のご紹介を頂きました。ソレイユでは、「日々の食材で体は作られる」を理念に、ジンジャー(しょうが)シロップ&フルーツジャムの手造り販売とジャム講座の講演をされているそうです。ジンジャー(しょうが)シロップを製造する過程で箱根西麓三島産のしょうがはトロミ・香りと辛味の刺激が強いと感じられているそうです。しょうがは、柴胡同様、日本薬局方に生姜(しょうきょう)・乾姜(かんきょう)と記載される生薬ですが、専らの医薬品である柴胡と異なり、薬用と並び、香辛料などの食用として世界中で繁用される馴染みやすい食材/薬材です。箱根西麓の土壌に馴化/育種(?)したしょうがが、和名『ミシマショウガ』を名乗る日がくるのでしょうか、愉しみです。

【2020/10/3(土)】星野会長が下田市民文化会館にて開催された令和2年度下田市教育委員会連続講座「南豆の歴史を後世に」: 「ウィーン万国博覧会と伊豆」高橋廣明下田市文化財保護審議会副会長の講演会を拝聴しました(YouTube配信:下記リンク貼付)。
講演資料において、江川文庫所蔵の足柄県韮山出張所に壬申(明治五年)九月にウィーン万国博覧会出展の為に集められた伊豆特産品リストが掲載されていました。「墺国(オーストリア)博覧会江差出候諸品入用高調書」と題するリストに、石膏や白石脂などの複数の鉱物生薬に加え、先の橋本敬之先生のご講演で拝聴した戸田村から柴胡2箱出品の記載が確認できました。加えて、植物生薬として下田町から鎮咳・利尿・滋養強壮・緩和作用で知られる天門冬(ユリ科クサスギカズラ)や内浦重須村から健胃・強壮作用で知られる石斛(ラン科スクナヒコノクスネ/イワグスリ)の出品が記載されていました。明治のはじめ、豆州が貴重な生薬の宝庫であった様子が伺える資料に思われました。