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 三時囃子が三島市の無形民俗文化財に指定されたのは昭和42年1月7日である。昭和40年8月の『三島ニュース』の見出しは「消えゆく三島囃子」となっている。戦後まもなく復活されたシャギリが、社会情勢が徐々に回復して行く中で、復元への道を辿っていこうとしていた昭和40年4月、第一次町名変更が実施された。シャギリを伝承保存する単位母体となっていた市街地のほとんどの町内組織が壊滅状態になってしまったのである。三嶋大社の例大祭が町内単位から商工会議所・市などが運営する夏祭りとなり、シャギリを支える町内会も町名変更とともに組織の再編で手一杯の状態となっていた。経済の高度成長期にもあたり、町内組織は若者の求心力を失いつつあった。
 このような中で、三島青年会議所の手によって、昭和50年から「守り伝えよう三島囃子・素晴らしい郷土芸能を守り伝えてくれるのは子供たちです」というテーマを設定して、地道な保存活動を展開しはじめた。昭和52年、大社社頭での「子供しやぎり大会」と活動は大きく膨らみ、昭和55年にはクラウンレコードの協力を得て、ついに保存版レコードを出すに至った。子供を対象に伝えようとした試みの成功、まさに、「教育が町を作る」である。かつては、シャギリの練習が社会人としての教育の場であった。今も地域活動の担い手となるべく教育の場としての役割を果たしている。
 青年会議所の手によって復活された芸能は、川原ケ谷の人たちを中心にした保存会が伝えてきたものを、再びふるさとの芸能として三島の町に呼び戻すことができた。平成8年8月6日には新町の旭ケ丘は一番町へ練習に行くという活動があり、郊外にできた新しい町でも子供たちの間に確実にシャギリが広がっている。
 ここまで復活できた保存会のメンバーは、現代音楽との共演、ハワイやアメリカパサディナ市での演奏などを実現させ、夢が広がる。一方、すでに廃れてしまったものを取り返すことはできないが、正統なものの保存のために保存会は年間スケジュールをこなしながら、後継者の育成をはかっているところである。
資料:三島市教育委員会作成「ふるさと民俗芸能ビデオNo.29 三島囃子」より