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三島囃子に関するビデオを掲載しています。

■三島囃子(三島市教育委員会)

このビデオは、平成9年3月に三島市教育委員会が作成したものです。ビデオには、平成8年8月15日から17日にかけて行なわれた三嶋大社例大祭を中心に撮影収録されています。
資料:三島市教育委員会作成「ふるさと民俗芸能ビデオNo.29 三島囃子」より
収録時間 タイトル(ファイルサイズ)
1:22 三嶋大社社頭のセリアイ(WMV形式 3.7MB)
2:07 夏祭りとシャギリ(WMV形式 5.6MB)
1:03 三嶋大社の例大祭(WMV形式 2.8MB)
2:52 庶民の祭りとシャギリ(WMV形式 7.5MB)
4:27 シャギリの練習と市内の祭り(WMV形式 11.7MB)
2:05 三島周辺のお囃子(WMV形式 5.5MB)
2:19 現在の三島夏祭りと当番町(WMV形式 6.1MB)
6:03 三島囃子の曲目と演奏 シャギリ(WMV形式 15.9MB)
2:20 三島囃子の曲目と演奏 お囃子(WMV形式 6.3MB)
2:40 三島囃子の楽器と技術(WMV形式 7.0MB)
1:42 守り伝えられる三島囃子(WMV形式 4.6MB)

ビデオの見どころ
【三島の夏祭りと三島囃子】
 三島囃子は三島の夏祭りの華であると言っても良い。8月15日から17日までの3日間夏は真っ盛りの季節である。ちょうど旧盆とも重なり、三島には帰省 者や親類が続々と集まってくる。また、昔、周辺の農村では養蚕の繁忙期でもあったが、この時期の盆をミョウジンサンボン(明神様盆)と呼び、蚕の世話を済ませたら何があっても「大社のお祭り」に出掛けたものであるという。遠くて「ボーン、ボーン」と打ち上げられる花火の音、それに何となく聞こえてくるように思えた「チャンチキ」の音に、「子供心に、居ても立っても居られなかった」というのである。祭りの間、三島市内では、どこに居ても賑わいの喧騒と「チャンチキ」が聞こえてくる。「チャンチキ」は市内引き回しの当番町と、街角据え置きの山車などが競うように演奏するからである。夜の「三島囃子」は三嶋大社社頭で行われる「競り合い」で最高潮に盛り上がる。いわゆるシャギリ合戦。当番町の山車がすべて集合してかきならす「屋台」のスリガネの音は、観衆の身も心もしびれさせる。昔から、こうしたシャギリのテンポの中で育った三島人は、遠くふるさとを離れてもシャギリの音色を忘れることがないという。
【三島囃子とシタカタ】
 現在でこそ、三島囃子は川原ケ谷・大場などの周辺農村をはじめ、三島市内旧町内のほとんどが演奏するようになり、その上、かつては決して山車に上がることのなかった児童や女子までがシャギリを演じているが、戦前までは川原ケ谷地区に今でも残っているような「シタカタ」と呼ばれる人かとだけが演奏する芸能であった。川原ケ谷のシタカタ組織は村の青年たちで構成してきた。土地で言う「若い衆」(ワカイシ)である。ワカイシは義務教育を終えると加入となった。村には「宿」(ヤド)と呼ばれた集会施設があった。ワカイシは普段はヤドを拠点にし、お互いの交流を密にしたり学びあったりしていた。ヤドはいねばワカイシの社会生活を学ぶ学校だったのである。
 伊豆はワカイシ組織が色濃く存在したところで、ごく近年までそれは続いてきた。川原ヶ谷と同様な、かつてのワカイシの「シタカタ」が中伊豆町原保にあった。原保の「シタカタ」衆も、やはりまた村の囃子方であり、10月の村祭りでお囃子を演じていた。
 しかしながら、近年では伊豆地方の各村でも若者たちの数が激減し、青年団組織は解体し、シタカタ衆も高年齢化し、伝統の維持すら危うい状況となっているのが現状である。
三島囃子の継承
 上記のような現況から、三島市では、三島青年会議所等の活動を通じ三島囃子の保存と継承を行ってきた。子供シャギリの結成と育成、夏祭りにおける子供シャギリ大会の開催等である。こうしたことは、時には伝統芸能を変化させるという危険性をはらむことではあるが、一方において未来への架け橋的な効果をもたらすもので、むしろ後者としての利点を認めることが出来る。ビデオの中に登場する多くの子供たちは、三島の未来を背負った希望のシタカタ衆なのである。