三島市民ポータルサイト


源頼朝とは 相関図 年表 関連スポット おすすめ散策コース
  トップページ > いずっぱこでGO! > 歴史散策へGO! 源頼朝をたどる > 相関図
相関図
主な人物紹介
源頼朝(みなもとのよりとも) 父義朝に従い平治の乱に加わったが、敗北、伊豆に流された。以仁王の平氏追討の令旨を受けて挙兵。鎌倉幕府を樹立した。
源義朝(よしとも) 清和源氏の武士。保元の乱に勝利し、清和源氏第1人者の地位を手に入れたが、平治の乱に敗れ殺害された。
源頼家(よりいえ) 鎌倉幕府二代将軍。十八歳で家督を相続。独裁政治のため御家人達の反発を招く。跡継ぎ問題で舅の比企氏が破れ修善寺に幽閉され、後に殺害される。
源実朝(さねとも) 鎌倉幕府三代将軍。十二歳で征夷大将軍となり、十七歳で鎌倉幕府将軍職を相続。武士として初めて右大臣に命じられる。鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺される。
源範頼(のりより) 頼朝挙兵時、平氏討伐に向け義経と共に尽力する。曽我兄弟のあだ討ちの件で疑われ、修善寺に幽閉され、その後殺害される。
北条政子(ほうじょうまさこ) 北条時政の娘。伊豆配流中の頼朝の妻となる。頼朝死後は後家として、また実朝暗殺後は弟の執権北条義時とともに幕府を支えた。
北条時政(ときまさ) 伊東祐親とともに流人頼朝の監視役であったという。頼朝を支え、鎌倉幕府に貢献した。
北条義時(よしとき) 政子の弟。時政次男。頼朝挙兵以来父と共に従う。頼朝死後は、幕府にて北条家の執権政治を成功させ、北条家の幕府指導者としての地位を確立する。

伊豆と関わりのある人々
源氏の家臣
安達藤九郎盛長
(あだちとうくろうもりなが)
頼朝の流人時代からの側近。頼朝の乳母である比企尼(ひきのあま)の娘婿。頼朝挙兵の際関東一円の武士を説き伏せることに成功させる。頼朝の信頼厚く、側近として活躍する。頼朝の死後出家するが、二代将軍頼家の時に十三人合議制の一人となり幕政に加わる。
十三士
(じゅうさんし)
鎌倉幕府二代将軍源頼家の家臣達。頼家が暗殺されると主君のあだ討ちを果たすため謀反を企てるが、事前に事が発覚し討ち取られる。
平家の家臣
大庭景親
(おおばかげちか)
相模の武士。源義朝に仕えていたが、義朝滅亡後は平家に仕える。富士川の合戦後、頼朝に降伏するが処刑される。
伊東祐親
(いとうすけちか)
東国の平氏方の豪族。清盛からの厚く、頼朝の監視役となる。平家に知られることを恐れ、三女八重姫と頼朝との間の子供(千鶴丸)を殺害。頼朝が挙兵すると大庭景親と共に石橋山の戦いにて撃破。富士川の戦いの後捕えられ、一命を取り留めるがその後自害する。
山木兼隆
(やまきかねたか)
伊勢平氏。検非違使だったが父との不和により、伊豆国山木郷に配流される。後に伊豆国目代となり、流人源頼朝の監視役となる。頼朝が以仁王の令旨を受け挙兵した際、標的にされ館を襲撃されて命をおとす。

菖蒲御前(あやめごぜん) 源頼政の妻。頼政挙兵の際、故郷の伊豆長岡へ逃れる。頼政の死後源頼政、子の仲綱を弔うために禅長寺に潜んだという。堂を建立し、出家する。名を西妙と改める。
八重姫(やえひめ) 伊藤祐親の娘。頼朝との間に男子をもうけたようである。子供が三歳の時父祐親の知るところとなり殺害される。