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源頼朝とは

 源頼朝(1147〜1199)は鎌倉幕府を開き、武家政権の創始者として知られる。
 頼朝は清和源氏の嫡流源義朝の三男。母は熱田大宮司家藤原季範のむすめ。平治の乱で平清盛軍に敗れた頼朝(当時13歳)は池禅尼の助命嘆願により一命を助けられ伊豆に配流される。以来約20年の流人生活を送る。この間、北条時政のむすめ政子と結婚。1180年、以仁王の平氏討伐の令旨を奉じて兵を挙げ、関東を平定し鎌倉を本拠とする。弟たちを代官として源義仲と平氏を滅ぼし、戦功のあった末弟・源義経を追放し、諸国に守護と地頭を配して力を強め、1189年には奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定。1192年に征夷大将軍に任じられ、名実ともに 体制を整えて鎌倉幕府を開き、武家政権を確立した。

 頼朝と伊豆との関係は、1160年に始まる。平治の乱に敗れ、父義朝を失い、平氏方の捕らわれの身となった頼朝は、死罪を免れ伊豆韮山蛭ヶ小島に流された。以来約20年の流人生活を送る。流人とはいえ、伊豆国内での行動は自由がきいたらしく、伊東祐親のむすめ八重姫との悲恋や北条時政のむすめ政子との結婚など伊豆各地に頼朝の足跡を示す史跡が残る。一方、配所において平治の乱で死んだ一族の菩提を弔い、写経と念仏に明け暮れる日々だったともいう。
 そして、20年を経た1180年、平清盛一統を討つべしという以仁王の命旨が頼朝の館に届けられ、源氏再興を決意するに至るのである。