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八坂神社 お天王さん

例年、田植え終って田んぼに娃の合唱が始る季節の7月6日になると、大場の町内は独特の活気に溢れて来ます。
各家庭では、その日の夕刻から始まるお天王さんを迎える準備をします。
みこしを清める水と、燃やす麦わら。このかがり火は、みこしが迷わぬ道標として、あたりを明るく照らし悪除け魔除けをすると伝えられています。
担ぎ手や関係者は、一種独特の気持ちでその日に向い、体調には特に気を付けます。
勇壮な振れ太鼓は、町民にみこしの到来を告げる振れの役目をしています。
最近の小さい祭りは、簡素化され一抹の寂しさを感じますが、この祭りは、途絶えることなく今日まで引き継がれてきました。
お天王さんの起こりは、鎌倉幕府が滅び、足利尊氏によって室町幕府が京都に開かれた頃のことです。
(約620年前)京都には、祇園祭りという祇園社の祭典が、年一回旧暦(6月7日)に行われていました。
鎌倉室町時代の戦国の世にあっては、農民や町民は祭りどころではありませんでした。
応仁の乱の始まった頃(1469) は全国到る処で大飢鐘や災害が起こり餓死する者が続出しました。
応仁の乱を契機に足軽と言う雇われ兵となり、京都を目指して殺倒した人々の大部分は土地を捨てた農民でした。
百姓一揆が盛んに行われたのもこの頃でした。
しかし戦乱も終わり全国が平和を取り戻し始めた頃になると、祭り復活のきざしが見え始めます。
人々は、荒れた心を和らげ、戦いのない町や村を作るためには、祭りの復活が一番だと考え、名主と言う指導者を選び、神社に集って暮らしや祭りの事、入会地や用水の問題など日夜話あうようになりました。
天文2年7月6日のこと、京都八坂神社の祭典の日に集まった群集を「幕府にたてつく良からぬ相談をする」 と誤解し、役人がこれを取り押さえようとしました。
その群衆の中の勇気ある若者が「自分達の為にやる祭りが何故悪い」と叫んで、役人に反抗しました。
捕らえられ、引き立てられていく若者を克て群衆の怒りはついに爆発し、石や棒で役人に立ちむかって追い払い、若者を取り戻して気勢を上げました。
若者の勇気を褒めたたえ若者を御輿の上に載せたまま余勢をかって狂った様に町や村を練り歩いたという祇園祭りの騒動事件は有名であります。
この年から不思議に疫病や災害も無くなり大豊作をとなったのでその縁起をかついぎ、翌年からこの祭りが盛大に挙行さるようになり、それが全国的に広まって今日に及んだといわれています。
このお天王さんが、遠く京都の祇園社の祭典に由来し、太鼓により振れを出して人を集め、身を清めて神の加護により災害を免れようと願った当時の農民や町民の切ない信心のあらわれであった事が今日まで続いて来た理由でしょう。
また、ご神体は天照大神であるとの一説もありますが、あばれ神で有名な須佐之男命が本説でしょう。