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箱根接待茶屋の森づくり協議会の概要

 「箱根接待茶屋の森づくり協議会」は、2009年12月22日生まれの森林ボランティアで、現在16団体で構成しています。三島から国道1号線、箱根峠の手前、標高750mくらいに「箱根接待茶屋」というバス停があり、その近辺の10haを箱根接待茶屋の森と呼んでいます。
 戦後、子孫のためにとスギやヒノキを植林しましたが60年近く経った今、その木々は建材や家具にしてもらえず、悲しい表情を浮かべています。理由は色々ありますが大半は人が手入れをしなくなったせいなのです。そこで協議会はこの森をデザインし、手を加えて水源涵養と防災機能、生物多様性を重視した保健休養教育の森に!!温暖化防止にも貢献しよう!!と活動しています。
 地球の7割が海で陸地は3割。その25%が森の面積ですが地球全体のわずか0.75%に過ぎません。その0.75%が育む酸素と二酸化炭素の吸収のお蔭であらゆる生物は生命を維持しています。
 日本は世界の中でも数少ない森の国なのです。
 私たちの活動は、一隅の灯かもしれませんが、多くの方々の協力で次世代に繋ぐ森づくりを進めて行きたいと切望しています。

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接待茶屋の歴史

 かつて東海道一の難所といわれた箱根山は、一日がかりでやっと越える急坂の山で、人も馬も苦難を強いられました。代金を取る茶屋は何軒かありましたが昼間だけの営業で、さまざまな通行者が増加するなか、別の施設の必要性が増していました。
 箱根西坂に無料で粥や焚火、飼葉を提供する「接待所」が初めて設けられたのは文政7年(1824)のことです。江戸呉服町の義人加勢屋興兵衛が私財を投じて「人馬施行小屋」として開設し、冬場の寒気の折など往復する人馬はここでの接待を心から喜び、急ぎの飛脚もここの豆だけは必ず食べたと言われています。
 しかし、興兵衛の基金を貸し付けた利息で運営されていた接待所は資金の回収が不能となり安政元年(1854)に30年の歴史を一度閉じ、地元では接待所がなくなり大層不便な思いをしていました。
 そして明治12年(1879)になると下総国(千葉県)八石教会により「接待所」が再興されます。教会は江戸後期の農民指導者、大原幽学が初代教長を努め、農業生産の合理化、農村改革を図る一派でした。教会と門人達が財を投じで接待所を建て、人々に茶をもてなし、冬には暖をとらせました。
 明治34年、門人の鈴木利喜三郎が引き継ぎましたが、間もなく教会の運営が傾き、接待所への送金が途絶えてしまいます。
 ここで、使命感の強い利喜三郎は接待所を続けることを決意し、家族を呼び寄せ、鈴木家の個人経営で運営されるようになりました。この志に感じ、全国から茶や茶碗などの援助の品が送られ、大変助かったそうです。
 鈴木家の人々は箱根竹の栽培や養鶏で運営資金を作り、自分たちは質素な生活をして並々ならぬ苦労をしていたのです。この間、道に迷った者、疲れ果てた者など多数の人々がここの茶の一杯に助けられ励まされ、また旅立って行きました。
 時代の変化の中でも大変貴重な存在だった接待茶屋も戦後は交通網や施設の充実により東海道の通行量が急激に減り、利用者も減り続けます。そして昭和43年(1970)ついに接待茶屋の歴史が幕を閉じることになりました。
 近年、接待茶屋のすぐ横を通る国道1号線の拡張に伴い、接待茶屋の建物は取り壊されてしまいましたが、その後の発掘調査により、江戸末期の井戸や明治期の陶器などが出土しました。100年以上に渡り、往来する人々に奉仕してきた接待茶屋の森の豊かな自然を私たちはこれからも守り続けていきたいと思います。

協議会加盟16団体

NPO三島フォレストクラブ
三島市連合勤労者福祉協議会
三島市ストップ温暖化推進協議会
NPO法人三島緑の会
中郷地区エコリーダー
錦田地区エコリーダー
労働保険事務組合さわやか労務
社団法人富士箱根伊豆森林協会
学遊塾伊豆ネット
天竜フォレスター
特定非営利活動法人しずおか環境教育研究会
地域教育環境研究所
Cネット21
北上地区エコリーダー有志
旧市内地区エコリーダー有志
てんとうむし文庫
(平成23年4月現在 順不同)